卒業した父母の声

生活団を卒業して

2004,2006年度卒業生のお母様より

生活団を卒業しても周りに流されてしまったり、問題を抱え悩むこともありますが、

生活団で教えていただいたことを思い返すと解決への糸口が見えてきたりします。
生活団で過ごした日々で、子育ての基礎を
しっかり教えて頂いたと実感しています。

生活団に入ってみて

2014年度卒業生のお母様より

生活団は何から何まで幼稚園と違っているので、入る時は大変勇気がいりましたが、入ってみると、子どもは「ひとりの人」として一人前に扱われ、そこで自分の力を伸ばしながらのびのびやっている様子に触れ、他と違うことを気にせず、本物の教育として捉えられるようになりました。

生きるための勉強を

2015年度卒業生のお母様より

6才組の夏休み中、娘から「どうして生活団に入れたの?」と質問を受けました。驚きましたけれど、「よい子どもになって欲しい。強い子どもになって欲しくて、生活団に決めたのよ」と話をしました。

すると娘が「お母さん、生活団は生きるための勉強をするところだよ」と真剣な顔で答えてくれました。
自分で行動できる、弱い心にも打ち勝っていける強い心。本当に心が鍛えられ、母、子共々成長させていただくことが出来ました。子どもと向き合い、心に寄り添い、子どもと共に生きることの出来た3年間です。

一人の人として

卒業生のお母様より

生活団の特徴を2つ挙げるならば、大人の都合に合わせた時間ではなく、子どもの時間を大切にしていることと、子どもを一人の人として認めてくれること。なので、先生は決して「早くしなさい」とは言わないし、声を荒げて怒らない。いつも子どもの話すことに静かに耳を傾けてくださいます。

生活団に通わせようと思ったのは

2015年度卒業生のお母様より

 私が生活団に息子を通わせようと思ったのは、「3月末生まれだし、2年保育でいいと思っていたから、合わなければやめればいいや」という軽い気持ちからでした。息子は行かないと大泣きで登団日の月曜日をむかえることは憂鬱でした。それでも通わせようと思ったのは、私が楽しかったからです。そこで知る子どもの食事のこと、衣類のこと、家の片付けのことなど、子どもの目線でどのようにしていったらいいのかということを考えさせられました。いろいろ教えていただき、自分の我が家の食卓も変化していきました。またそこで出会った同じクラスのお母様方とも話し合ったり作業を共にしたりと、まるで部活動のような連帯感をもてたことも楽しかったことの大きな理由でした。
 生活団では特別に難しいことをさせるのではなく、自分の身の回りのことが自分でできるように何度も繰り返し、「はげみ表」でやっていきます。今回出来なくても次回は少しの前進。それはその子のペースに合わせて進めていくことです。
 ここには「正解」というものはなかったように思います。指導者も「こうして下さい」というようなことはおっしゃいませんでした。自分の答えは自分で見つけて行きます。「試行錯誤」「トライアンドエラー」です。何度もやってみます。こういったことは、慌ただしい日々の中ではできません。週に一度の登団日だけでどうなるんだろうと思いましたが、子どもを待ち、様子を見るには十分でした。それでも時間はたっぷりあります。息子の好きな布地を買いに行き、それでズボンを作りました。ミシンのそばにきて、じーっと様子を見ていました。「ボタンを押していい?」と言えば押させて一緒に縫いました。いわしを買えば一匹は息子に渡し、観察と遊びが始まります。パンを作れば、こねている機械の中をじーっと見て、時には自分で成型して、オーブンで焼きあがっていく様子を見ています。私も何度も繰り返し、少しは上手なものが作れるようになったと思います。
 この多くの時間を使って、ゆっくりと歩みました。ふんぱつまでには時間がかかりましたが、6才組の夏休みをすぎたあたりからスイッチが入ったようです。今では私のすることは歯の仕上げ磨きくらいです。間違って手を出すと「ママはやらなくていい」と言われます。
 多くの時間を息子と共有してきましたが、それがもう終わると思うと寂しいです。この3年間息子も私も成長させていただきました。

子どもと共に成長していくこと

卒業生のお母様より

 生活団はどんなところかというと、子どもたちが自分のことは自分でできるようになろうと、いろいろなことに励みその姿に励まされて、母たちにとっても良き成長の場となっているところです。
 もし「子どもにはよさそうだけれども私がついていけるかしら」と迷われてる方がいらっしゃるのなら、私が生活団で習ってきて、今も大切にしている「力は出るもの出せるもの」という言葉を贈りたいです。
 きっと生活団の母になって子どものためならこんなにも力が出せるのだということを改めて実感されることと思います。子どもの成長とともに親も一緒に成長出来る機会が生活団にはあります。子どもに共に励む仲間ができるように、親にとっても共に励まし合う母たちが心強い仲間となることでしょう。
 生活団の説明会で「生活団のお母さんは『忙しい』とよく言われますが、忙しいのではなく、充実しているのです」という一言を聞きました。今、私はまさにその通りだったと思っています。本当に精一杯の無我夢中の日々を送っていますが、子どもの成長を間近で感じながら過ごせていることに満足しています。そして、感謝して毎日を過ごせています。
 私は自身が京都の生活団の出身者なのですが、私には子ども時代のきらきらした思い出があります。
 きれいな夕焼け空を見て「あんな色のセーターが欲しい」と言ったら、母がそうねと言って、四条のお店まで毛糸を一緒に選びに行き、苦手な編み物を一生懸命にがんばってくれた「夕焼けのセーター」の思い出。生活団からの帰り道に通る南禅寺の境内では色々な野鳥の名前を教わったこと。買い物に行ったり、図書館まで通ったり、とにかくよく歩いて出かけたこと。
 ......家庭での生活を大切にする生活団だったからこそ過ごせた母との時間があり、なんでもないことがきらきらした思い出となっています。
 「通うのと通わせるのとでは苦労が違うものだね」と電話で母と笑い話をすることもあるのですが、こうして母となって我が子を通わせるようになって改めて、一生懸命に良いものを与えようとしてくれた母の思いに触れ、生活団に入れてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになります。
 ちなみに私が自分の中に生活団で培われたものは何かと思う時、他の人と違っていてもあまり苦じゃない、人に流されないところではないか、と思っています。
 自分で考え、自分でやろうと決めて励む、生活団の子どもとして授かった芽がそれを育んでくれたように思います。
 週一回だけの登団日だなんて、他の日はどう過ごしているのかと思われるかもしれませんが、子どもの興味に寄り添いながら自分も楽しむ「よく遊び、よく食べ、よく寝る」ごく普通の毎日があります。5才組に通う息子との毎日はあっという間に過ぎていくものの、一つひとつを切り取ると、そこにはゆったりとした時間があり、花を摘むのが好きな息子と歩く散歩道はゆるゆるとした歩で、子どもの目に映る景色は大人とは違うことを教えられ、「こんなところにこんなものが!」と小さな発見が散りばめられています。季節や自然の移ろいを感じながらのんびり歩く時間は宝物です。
 また、お天気がいいから家にいたらもったいないねとばかりによくミニピクニックに出かけます。ある日も、木陰で気持ちのいい風に吹かれながらお昼にしていると、仕事の昼休みらしいおじさんが「お弁当作ってもらっていいねえ」と子どもに声をかけて下さり、あるものを詰めただけのお弁当だと説明したら「こういう時間があるってことがいいんだよ」と言って下さり、なんとも嬉しくなりました。
 もちろん、子どもと一緒にいる時間が長いと時には疲れていらいらしてしまうこともありますが、だからこそ、どうやったら気持ちよく過ごせるのか、親子で意識して過ごせているように思います。自分が変われば子どもも変わるという経験をしたことで、子どもに良い背中を見せられる母になりたいと思うようになりました。子どもを叱って強制したり、親が先に手を出して手助けするのではなく、環境を整え見守れる母になりたい、と頭を使い奮発できるようになりました。
 「最近のお母さんは抱きしめるべき時に抱きしめず、手を離すべき時に離せていない」という話を聞いたことがあるのですが、その時には気がつかないまま、後から振り返って「あぁ、あの時だったのか」と今しかない時間を思うのかもしれません。就学前の子どもと過ごせるこのわずかな三年間、一人でも多くのお母様が子どもと一緒のたくさんのきらきらした時間を過ごせるよう願っています。